地方の大きな企業の地域貢献のあり方
どうも、ずんだラーメンです。
しばらくブログの更新が滞っていました。
割と仕事が今までにないくらいの忙しさで、我慢の3ヶ月といった感じでした。
今後もこの状況がしばらく続きそうですが、なんとか頑張りたいと思います。
今の会社に入って、もう少しで丸3年になります。
「地域に根を張った仕事がしたい」と思って入社した会社ですが、自分自身の力不足、まだ3年目ということもあり、会社の仕事を通しては思うような地域活動ができていません。
ただ、それは入社前に僕がイメージしていた「企業と地域社会のあり方」とその現状にも乖離があったということも少なからず影響しているのではと感じています。
資金力のある企業が「金・モノ」を地域に引っ張ってきて、「あとは地元の人たちで頑張ってね」というのが旧来の企業活動における地域貢献のスタイルだったと思います。
(上から目線な気がして、個人的にあまり「地域貢献」という言葉は好きではないのですが、イメージ的に分かりやすいためあえてそう表現します。この言葉を使っていること自体が地域に対する間違った姿勢を表しているのかもしれませんね。)
最近は先進的な取り組みをする企業が個人・プロジェクトチームごと地域に派遣し、地域と協働して活動をしていくという取り組みも目立ち始めてはいますが、地方の大きい企業ほどそういった取り組みがまだ少ないのではと感じています。
社会起業家でまちづくりのプロと言われる木下氏も著書「地方創生大全」等で「補助金や助成金に頼った地域振興事業は上手くいかない」と論じていますが、自治体と地域の関係だけでなく、企業と地域の関係も同じなのではないかと思います。
地域経済が上手く回らなくなり、「シャッター商店街」や「消滅可能性都市」という言葉が叫ばれて久しい中、自分たちのお膝元の地域を活性化していかないと自分たちの企業の存続も危ういはずです。
しかし、実際に企業の事業計画などを見てみると、「域内需要が減っているため、海外にも目を向けます!」といった記述が多く見受けられうます。そして、隅っこの方に「地域活性化の取り組みとして地元の〇〇の取り組みに資金援助します。」などと書かれています。
もちろん、企業が存続するための多角化としても、株主からのウケを考えても、海外進出は必要なのかもしれませんが、中で働く人としては、どうしても「その前に(100歩譲ってそれと平行としても)まずはやるべきことがもっとあるだろう。地域に資金援助して終わりでいい訳がないだろう。」と思ってしまうわけです。
外資企業等で揉まれた優秀な人材や東京のベンチャー企業が地方に行って活躍するケースが多くなってきている一方、元々そこを商売の地域としている企業は上記のような「金・モノは支援します」というような形で終わっていることが多いことは、地方の企業で働く一個人として歯がゆさを感じています。
別に東京や他地域から来た企業・人が地方で活躍することが悪と言っているわけではなく、そういった企業・人が地方に目を向けてくれていることはとても喜ばしいことですし、その流れはより強くしていって欲しいとは思っています。
実際に僕の同世代もそうですが、地方活性に興味のある優秀な人材は、将来地方で活躍するための修行の場として東京のスタートアップ等に新卒入社し、何年後かに地方に行くというケースが目立ってきています。
しかし、その地域と長年関わりを持ち、なおかつ現在も多くの雇用を抱えている企業がその潮流に乗り遅れている事実については、もっと真摯に向き合わなければいけないはずです。
「なぜ地方の大きな企業が地域に深く入っていけていないのか」ということについてはいろいろな要因(地域内のエリート層と見られてたプライド、地域内で頻繁に行われる転勤、安定という認識によるハングリーさの欠如)があることが考えられます。
が、今後は地域の変化に取り残されることなく、人ももっと地域に入っていくことが求められます。
きっと、個々人としては最初は何もできないと思います。地元の人からも「意外にデキないんだね」と思われるかもしれませんし、東京からやってくる優秀な人との実力差を痛感するかもしれません。
幾分か残っているプライドも崩れることでしょう。それは今まで目を逸らしてきたことと向き合うことの辛さなのかもしれません。
ただ、それを乗り越えて、個々人が感じた「地域の現状と企業活動」をどうリンクさせていくのかを会社全体で考えないと、地方企業の新しいあり方は見つけられないとも思っています。
と好き勝手言っている僕ですが、まずは会社のためではなく、自分が楽しく生活するための手段として、今年もより地域活動に入っていければと思います。
それでは!
(ここまででちょうど2019字でした。笑
みなさん今年もよろしくお願いいたします。)
地域の一員の「フリ」をした特産品
どうも、ずんだラーメンです。
南魚沼は一気に秋の空気になりました。
夜はちょっとひんやりするくらいです。
あまり意識したことはありませんでしたが、南魚沼の気候は僕の地元の宮城の田舎と似ている気がしないでもないです。
中高時代は部活のサッカー後のこのひんやりした空気が好きでした。
さて、今日は地域と特産品の関係性について考えてみます。
このブログでもちょこちょこ書いていますが、僕はお酒が好きです。
南魚沼に来てからも家でも店でもお酒を飲んでいますが、この地域は米どころなだけあって、特に日本酒の酒蔵がとても多いです。
南魚沼市内だけでも3つの酒蔵があり(八海醸造、青木酒造、高千代酒造)、お隣の魚沼市にも2つ(玉川酒造、緑川酒造)、湯沢町にも1つあります(白瀧酒造)。
八海酒造の八海山や、青木酒造の鶴齢なんかは全国的にも有名な銘柄かと思います。
それ以外の酒蔵の銘柄もそれぞれ個性があり、いろいろと楽しませてもらっています。
近年は日本酒離れが進んでいると言われていますが、この南魚沼地域では出荷量を増やしている酒蔵もあり、そういった現状が地域の人々の誇りになっているのではと感じています。
そんな地域で生活している僕も、新潟市時代からの流れですっかり日本酒が好きになったのですが、そこで興味深かったのが日本酒を通して見えてくる地域と特産品の関係性でした。
これは日本酒に限った話ではありませんが、その地域の人々が作る「もの」というのは、嫌でもその地域の気候、文化、風俗といったものの影響を受けます。
だからこそ、オリジナリティのある地場のものに人々は惹かれるし、そこには大量規格生産の工業品にはない良さがあるのではないかと思います。
その一方で、最近では地域活性化が叫ばれる中、地域おこしの一環として様々な特産品が開発されていますが、その中には地域の特徴を表面的にすくっただけのような、場合によってはすくうことすらできていないような特産品も出てきているのではないでしょうか?
もちろんそういった地域の風土を重視するべきという意見が全てではないという考えも一理あるとは思いますが、そこにある自然やそこに暮らす人々の「フリ」をした、なんちゃって特産品が増えてきていることも事実だと思います。
地方創生が上手く進まないひとつの理由もこの「フリ」をした姿勢にあるのではないかと考えています。
逆に言うと、どんなに地域を良くしたいと思っても、短期的な発展を目的にしてしまうと、嫌でもこの「フリ」をしていくことになってしまうのではとも考えています。
そこの風土としっかりと向き合った上で、もの作りをしていくことが、これからの地域社会で求められていくのではないでしょうか。
そしてきっと「フリ」になることを乗り越えた「もの」は、人の心を動かす力を蓄えています。
八海山を飲みながら自分が日々見ている越後山脈や田んぼの風景を想像し、「ここだからこういうお酒ができたのか」と感じる瞬間はとても楽しいですし、その土地に活きている甲斐があるというものです。
風景を知っているから、また一段とお酒が美味しくなるし、お酒を知っているから、風景がまた一段と輝いて見えるということがあるのではないでしょうか。
このテーマはもっともっと掘り下げられそうな気がしているので、いろいろな角度からまたエントリを書いていきたいと思います。
それでは!
事後的にしか分からない成長曲線
どうも、ずんだラーメンです。
最近も淡々と仕事をこなす日々でした。
職場に仕事に慣れてきたこともあり、いろいろな仕事が振られてそれにてんやわんやしている日々が続いています。
「こんな簡単なこともできないのか」「自分だけなんでこんなに時間がかかるんだろう」などと思いながら、試行錯誤しながら進む日々です。
そんな日々の中で、最近南魚沼で知り合いが増えました。
南魚沼に割烹を構える大将と若女将さんです。
たまたま駅前のバーで飲んでいたところ一緒になり、僕の出身である宮城の話をしたり、逆に向こうから南魚沼の風土や文化について教えてもらって盛り上がりました。
後日その方々が経営されているお店に遊びに行ったのですが、そのときは地域や料理の話だけに留まらず、気づいたら僕の人生相談になっていました。
ブログの更新頻度が物語っていますが笑、ここ最近僕の仕事や人生に対するモチベーションは下降気味というか、少し疲れが溜まっている状態でした。
現状、内容も精度も入社当時思い描いていたような仕事ではなく、環境と自分自身に苛立っている自分がいます。
それでも社会人駆け出しの頃なんてこんなものだろうと思って、周りの人たちになめられないように「こんなのへっちゃらだよ」という顔をして、ごまかしごまかしやっている部分もあります。
最初はそんな風には見せずに、いつものごまかした顔をして世間話をしていたのですが、若女将さんは全部を見透かしたように「大丈夫、いつかきっと花咲く時が来るから。」と静かに言いました。
最初は「え?」という感じでしたが、徐々に「ああ、この人にはバレたんだな笑」と思い、自分がもがいていることを正直に話しました。
一通り僕の話を聞いた若女将さんは、「だと思った。昔の私にすごく似てるオーラをお兄さんから感じたから。」と微笑んだあと、いろいろと話をしてくれました。
その若女将さん自身も、大学を卒業してしばらくは飲食と全然関係のない仕事に就いていたそう。
でもずっとお酒とか料理とかには興味があって、日々の生活の中で少しずつその感性を磨いていって、前職で10年ほど働いたのちに、紆余曲折を経て最近やっとこの業界に入ったのだとか。
今の仕事をやる上ではまだまだ足りないことだらけだけど、毎日が勉強の連続だからとても新鮮で、何よりも自分の好きなことに関われてとても楽しい、と。
「私もそうだったから大丈夫。いろいろ悩んで、試行錯誤した分だけ、その人自身の魅力になっていくから。
何の経験が活きてくるかなんて、努力したものがいつ自分の力になって発揮されるかなんて、事後的にしか分からない。
しかも、それが分かるタイミングも、人それぞれ。
それでも、まだ短時間しか喋ってないけど、私はずんだラーメンくんのイイところがいっぱい見えたし、その想いと迷いをどちらも放棄することなく向き合い続ければ、必ず殻を破れる時がくるから。」
と、アドバイスをもらいました。
SNSでの無意識のマウンティング合戦が発達して、周りの人々と比べること、視野がどんどん短期的になることが顕著な最近において、こういうことを言ってくれる人が近くにいることはとてもありがたいなあと思いました。
事後的にしか分からないことに対して、どう頑張るエネルギーを用意すればいいのか、まだ自分は分かっていませんが、少なくとも、ネットもリアルもいろんなマウンティングで溢れている世の中で、「事後的にしか分からない成長曲線」を意識することの大事さを学びました。
これからも、悩んで迷って、試行錯誤しながら自分の生き方を作っていきたいと思いました。
それでは!
仕事の付き合いとプライベートの二元対立についてー最近の若者タイプな人ー
どうも、ずんだラーメンです。
以前にこんなエントリをしましたが、今回は②最近の若者タイプな人について掘り下げてみます。
以前のエントリでは、最近の若者タイプを
「経済が右肩上がりでもなく、上司に取り入れば出世が約束された時代でもないのに、無思考的に付き合いを重視するのは考えられない。」
「そんな忖度に注力するよりも、志向に合ったスキルを身につけて自分のやりたいことをやりたい。」
といったような考えを持っている人として捉えました。
もっと端的な言葉で表すと、短期間のスパンで物事を考え、より自分の感情に正直に生きる人である言えるかと思います。
現代の若者について論じている2冊の書籍から、本エントリではざっくりとなぜ若者の思考がこのように変わってきたのかを整理します。
1冊目は、「モチベーション革命ー稼ぐために働きたくない世代の解体書」です。
モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書 (NewsPicks Book)
- 作者: 尾原和啓
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2017/09/27
- メディア: Kindle版
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この「モチベーション革命」は元々読んだことがあり、今回のエントリを書くにあたって読み直したわけですが、「最近の若者はハングリー精神が足りない」とよく言われる所以をとても的確に分析できているなあと思いました。
この本で著者の尾原氏は今の若い世代(30代以下)をそれより上の世代と比較して、「乾けない世代」と表現しています。
上の世代は戦後復興以降の何もなかった時代で「自分たちの労働が国を社会を支えている」という社会貢献の自負を持ったり、「いい家や車、電化製品等のモノを手に入れたい」といった物欲をモチベーションの源としましたが、今の社会がほぼ形作られてから大人になった今の若い世代は、その両方が希薄であると分析しています。
そこから、今の若い世代は「国」「社会」のような「大きな枠」を支えることの意識が希薄でも、「家庭」「友人」「自分」というような「小さくて身近な枠」を大切にする傾向があるとともに、「金銭的な快楽」よりも「意味合い」を求めるような傾向があると述べています。
「小さくて身近な枠」を大切にして、「意味合い」を求めることは、人それぞれの行動規範ができることにつながるため、僕が上で書いたような「自分の感情に正直に生きる」というところとも繋がってくると考えています。
2冊目は「つくし世代ー「新しい若者」の価値観を読む」です。
この本では、広告代理店でマーケティングを担当している著者が、さとり世代と称されることの多い若い世代(30歳以下)を「つくし世代」と別な言葉で定義しています。
「つくし世代」は「誰かのために」を動機として行動を起こす傾向があり、その根底には、支え合いが当たり前ではないドライな時代だからこそ誰かとつながりたいという願望があるという分析をしています。
また、そういった考えの若者たちにとって課題となるのは自分らしくあることの難しさであると述べています。「個性の表現」と「他人との協調」にどう折り合いをつけていくかという問題を現在の若者は抱えているというのが著者の見立てです。
こちらの本も、今の若者の思考形態をよく表しているなあと感じました。
誰かのためにという部分は「モチベーション革命」の「小さくて身近な枠」と関係してくるようなところですし、特に、「個性の表現」と「他人との協調」の折り合いのつけ方というところはとても共感できました。
以下は、2冊の書籍を読んでみた、僕なりの仕事の付き合いとプライベート論です。
個人的に、「個性の表現」と「他人との協調」の折り合いについての悩みがなければ、仕事の付き合いというのはもっとバッサリと切り捨てられているのではと思っています。
上の世代の付き合いのモチベーションは上司に気に入られるといったような「立身出世のため」である側面が強かったと思います。
なので、基本的には付き合いの目標点に終わりがない。延々と付き合いの飲み会を続けるといった感じになる。
一方、若い世代はより目の前の「人」とつながりを持つためというような側面が強いのではと思います。
なので、本人がつながりを保てていると思うポイントが、付き合いの目標点になってくる。職場で十分にコミュニケーションが取れていれば飲み会にいく頻度も減るだろうし、何度か飲み会を重ねてつながりが保てれば、それ以上は行かない。といったような感じになるのかなと思います。
ただ、その行かないという選択をすることで、「他人との協調」が瓦解してしまうような危機察知があると、飲み会に行かざるを得なくなります。
その場面においては、「自分のやりたいこと」へ注ぐ時間が減ることを嘆くでしょうし、かといって飲み会を放棄すると、上の世代からは反感を買ってしまうということになり、悩ましい場面になってくるわけです。
「そんな付き合いの飲み会が多いような古い会社は辞めてしまえ!」というような意見もネット上でちらほら見かけますが、みんながみんな思い切った決断をするのはなかなか難しいものです。
僕は、この問題への対処方法は、付き合いもプライベートも両立させているような人(以前のエントリでちょっと触れた③大企業バリバリタイプ)になるような気がしているので、また③大企業バリバリタイプの分析を行ったときに考えてみたいと思います。
それでは!
人生迷ったときはストレングスファインダーを受けてみるといいかも
どうも、ずんだラーメンです。
今日の南魚沼はとても涼しく、秋の訪れすら感じてしまいます。
来週からまた暑くなるみたいですが。笑
タイトルの通り、巷で噂の「ストレングスファインダー」を受けてみました。
僕はそこまで人生に迷っているわけではありませんが、受けてみてタイトルのような感想を持ちました。
ストレングスファインダーを受けたメリットは3つありました。
①自分の強みが分かる
②強みが分かることで、心の拠り所ができる
③過去の経験から、今の強みができたと考えることができる
=過去の経験を意味のあったものと捉えることができる
の3つです。詳しくはエントリの後半で書いていきます。
「そもそもストレングスファインダーって何?」 と思った方は、以下のサイトを見てみてください。わかりやすくまとめてあります。
xn--bckg8a9ab8bxc5fpjscf3i.com
要するに30分くらいの簡単な心理テストを受けて、34つのタイプ分類から自分の性格はどのタイプの強みがあるのかを知るというものです。
以下が僕が受けたストレングスファインダーの結果、自分の強みのTOP5です。
(Gallup公式HPより)
1. 回復志向回復志向という資質を持つ人は、問題を解決するのが大好きです。どこに問題があるのかを探りあて、それを解決することに長けています。
2. 共感性共感性という資質を持つ人は、自分を他人の状況に置き換えて考えることにより、他人の感情を察することができます。
3. ポジティブポジティブという資質を持つ人は、情熱的であり、しかも自然にその熱意を人に分け与えることができます。生き生きとしており、他人に活気を吹き込み、やる気を起こさせることができます。
4. 成長促進成長促進という資質を持つ人は、他人の持つ可能性を認識し、それを伸ばし、目覚めさせます。他人の小さな進歩の兆候を見逃さず、このような進歩を実現することから充足感を得ます。
5. 収集心収集心という資質を持つ人は、より多くの知識を求める知りたがり屋です。ものを集めたり、あらゆる種類の情報を蓄積したりするのが好きな人が、このタイプに多くみられます。
実際はさらに細かいタイプ別レポートや、強みを生かすための行動プラン作成の手引きなどもついてきます。
それでは、3つのメリットについて詳しく書いていきます。
①自分の強みが分かる
上記の僕の強み5つを見て感じた方がいたかもしれませんが、まず強みのタイプ分類が秀逸です。
私生活、ビジネス両方に応用できるような、絶妙なバランス感覚でタイプ分類がされていると感じました。
また、若干バーナム効果(多くの人に当てはまるようなことを言われたときに、それが自分の特徴だと信じてしまうこと)があるような気もしなくはありませんが、やはり34のタイプからのTOP5ということで、それなりの説得力があります。
僕の場合は、2、3、4番は大学生の就活時期に行なっていた自己分析と同じ認識でした。
1番は就職して常に「改善すること」を上司から口酸っぱく言われていたこと、最近プログラミングの勉強を始めたことが影響したと考えています。
5番は、趣味の読書でメモをとる習慣をつけていたこと、多くの基準等の文書を基にして仕事をしなければいけないことが影響したと考えています。
自己分析を1からやるのは大変!と思う人でも、30分弱テストの回答をポチポチとクリックしていれば上記の結果が出てくるので、とても手軽だなと感じました。
②強みが分かることで、心の拠り所ができる
日々の生活の中で、人生にいろいろと迷ったり、何をしていいのかわからなくなることがあると思います。
特に、SNSで他人の生活が可視化できるようになった現代では、複数の、数え切れない選択肢があるように見えたり、そんな中で他人と比べて大して何もできない自分に嫌気が指すこともあるかと思います。
しかし、自分の強みが分かっていれば、そこからおのずと得意な分野、苦手な分野が見えてきて、自分の戦うべきフィールドや生き方みたいなものが見えてくるはずです。
もちろんここで強みが出てきていない要素を伸ばしていきたいという考え方も全然アリだと思います。個人的にはストレングスファインダーを100%過信しすぎるのはあまり賛成ではありません。
ただ、他人や理想と自分の現状を比べて落ち込んでしまったり、どうすればいいかわからなくなったりしたときに、ストレングスファインダーを自分の都合のいいように解釈して、自分の土俵を認識することで、周りに変に惑わされない、踊らされないようにすればいいのではと思っています。
これが、僕が本エントリのタイトルにつけた意味でもあります。
③過去の経験から、今の強みができたと考えることができる
=過去の経験を意味のあったものと捉えることができる
上記の①自分の強みが分かるでも書きましたが、僕はストレングスファインダーを受けるまでは1番と5番の強みは認識できていませんでした。
このエントリを書くにあたって、なぜこの強みが出たのだろう?と考えたときに、仕事の経験や自分の趣味嗜好に目を向けることができました。
正直、あまり意味のないことと思っていた仕事や、怠惰な趣味だと思っていたことでも、その1つ1つの行動や経験は確実にその人の性格や人柄になっていくんだということを感じました。
そしてさらにそれが自分の強みという形で認識できたことは、過去に対する考えがちょっとポジティブになった、自信がついたような気がします。
言ってしまえば自己分析と似たようなものですが、フラットなシステムで判定してもらえる分、変に主観が入りすぎず新しい発見が多いということなのかなと思います。
気になった方は、ぜひストレングスファインダーを受けてみてください。
https://www.gallupstrengthscenter.com/home/
それでは!
客観性を保つために読書をする
どうも、ずんだラーメンです。
7月に転勤してからというもの、仕事が忙しくてなかなかブログを更新できていませんでした。
前とは全く違う業務で、また環境も変わり人数の少ない部署に配属となったため、かなり忙しく、疲れの溜まる日々を過ごしていました。
ぼくは環境に慣れるのに時間がかかるタイプなので、まずは仕事に慣れて、その次に地域に慣れようと考え、今は仕事に慣れることにほとんどのエネルギーを費やしています。
現時点で南魚沼という土地を楽しめているのはトレッキングです。南魚沼には坂戸山という標高634mの山が街の裏山的にあって、最近は休日に気分転換と体力作りのために登って写真を撮っています。
平日は仕事でクタクタになって、休日は山登りでクタクタになって、結局ブログを書けていないという状況です。笑
まだ全然納得のいく写真を撮れていないので、早くいい写真が撮れるようになりたいです。
さて、今日はそんな忙しいここ1ヶ月の中で気づいた、読書と客観性の関係について書きます。
前述の通り、最近はどうしても目の前の出来事に対処するので精一杯になっていて、自分なりの考えや中長期的な考えを基に行動することがなくなっていました。
周りの人の言うことを無抵抗に受け入れて、その枠の中で頑張ろうとしていた感じがありました。
もちろん、「郷に入れば郷に従え」という言葉がある通り、ある程度は聞き入れてやっていく必要はあるかと思います。
しかし、思考停止になった状態で聞き入れて物事を進めてしまうと、そこから自分なりに新しい価値をつけることはできません。
また、そうでなくても、いざその(他人の)判断基準、価値基準がなくなってしまったときにどうすることもできなくなってしまいます。
7月に入ってから最初の1、2週間ほどは何も考えずにやっていたのですが、ふとしたときに「最近本を読めていないなあ」と思い、ちょうどはてなブログの人気ブロガーであるヒデヨシさんが取り上げていた本を読んでみました。
本の詳細な内容、書評はヒデヨシさんが上手くまとめているので、気になる方は見てみてください。
ざっくり一言で言うと、日本のこれからの政治経済の展望と一般市民への影響について考えさせられる内容なのですが、これを読んだときに、「ああ、自分は最近誰かの価値観でしか生きてないな」と感じました。
本の内容がそうさせた部分もあるかとは思いますが、読書を通し筆者の主観の世界に入ることで、普段の生活で軸になっていた職場の主観の世界から一歩身を引くことができるのではないかと感じました。
よく「気分転換に読書をする」と言いますが、これを別な言葉で表現するとしたら上記の「異なる主観の世界を行き来すること」になるのかもしれません。
それが結果的に、物事を見たり考えたりする上で客観性を保つことに繋がるのではないかと。
思い起こせば、入社当時は毎日昼休み1時間の中で10分だけ読書をするという習慣をつけていました。
なぜそうしていたのか、当時は「気分転換」くらいにしか考えていませんでしたが、確かにあの頃は今よりも余裕がない中でも今よりも客観性を保てていたような気がします。
環境に、忙しさに、飲み込まれて客観性を失ってしまう前に、読書を挟むことでいろいろな世界にログイン/ログオフを行うことは大事なのかなと思います。
新潟にいた最後の方は居酒屋やバーでマスターと話したり、地域の人と交流することでそれを行なっていましたが、読書でも似たようなことはできるのだなという発見がありました。
なので、忙しいから、疲れているから読書ができないという前提は抑えつつも、だからこそ読書をするべきなんだなと感じました。
久しぶりに記事を書いたら、やはりかなり時間がかかって、文章の浮かび具合のキレも悪くなっていました。。。笑
まだ仕事に慣れない日々は続きますが、継続は力なりということで、ブログもコツコツ頑張っていければと思います!
それでは!
仕事の付き合いとプライベートの二元対立についてーおっさんタイプな人ー
どうも、ずんだラーメンです。
南魚沼での生活も少しずつ慣れてきました。
先週仕事帰りにフラっと立ち寄った居酒屋でマスターと仲良くなり、早くもこの土地が好きになりそうな予感がしています。
以前「仕事の付き合いとプライベートの二元対立について」というエントリをしました。
このエントリで「仕事の付き合い」と「プライベート」の重視の仕方によって、世の中の社会人を
①おっさんタイプ
②最近の若者タイプ
③大企業バリバリタイプ
④起業家タイプ
と大別しました。
今回から何回かに分けて、それぞれのタイプの特徴、強み弱みについて考えていきたいと思います。
初回は ①おっさんタイプ からです。
このタイプは、仕事の付き合い重視、プライベート軽視というタイプを指しています。
具体的なイメージとしては、「家よりも会社を優先してナンボという価値観の中でキャリアを積んできた人たち」です。
一般的に言われるのは、高度経済成長期のような皆が会社のために画一的に努力していればいいという時代に若手時代を過ごし、そのような考え方に固執してしまったために、今の変化の早い時代では新しい可能性・脅威に対応できていないということでしょう。
僕の会社は、40代50代の方が多く、ここで挙げる「おっさんタイプ」の方も多くいます。
特に、インフラ業界という閉鎖的な、経験がモノを言う傾向が強い業界なので、他の業界に比べて「おっさんタイプ」に陥りやすい部分もあるのではないかと思っています。
僕の経験則にはなりますが、まずはじめに誤解のないように言っておくと、この人たちは、人としてはいい人たちが多いです。
こちらがきちんと仕事をこなしたうえで、誠意を持って接することができれば、とても可愛がってくれます。同僚・後輩想いな人も多く、仕事で困ったときに相談して助けられたことも何度もありました。
ただ、このタイプには、特に会社の付き合いの比重があまりにも大きくなってしまったときに、問題点が出てきます。
一番大きな点は、人生的な引き出しが少なくなってしまうのではないか?ということです。
アフター5も、土日も、会社の人とつるんで飲み会、ゴルフに明け暮れていては、得られる体験の幅が圧倒的に少なくなってしまいます。
もちろん、仕事場以外での交流があるからこそ、仕事で難しい局面を迎えたときに一致団結して対処できるということはありますし、そもそも仕事の同僚と深い関係を築くことは人生におけるかけがえのない経験だとは思います。
ただ、そこにかける時間はトレードオフのものです。
その時間でもっといろいろな人と交流を持つことで自分の世界がもっと開けることもあります。
僕はある程度の付き合いは大切にしつつ、プライベートの時間も大切にしていましたが、仕事もなんとか回せて、先月の部署異動の送別会では同僚と僕で涙を流してしまうほど、思い入れのある仕事経験を積むことができました。
特に、慣れで、惰性で仕事の付き合いを重視しているとすればそれはもったいないことだと思います。
慣れや惰性で仕事の付き合いを重視している人は、プライベートや自己啓発を軽視しがち(目を背けがち)なので、これは仕事人としても問題です。
新しい経験、いろいろな人との交流がないと、仕事としてもだんだんと成果が上がらなくなってきます。
知識・感覚がどんどん内向きなものになってしまうと、変化の早い時代では対応できないということは周知の事実です。
よく惰性で仕事をするおっさんが批判されていますが、彼らの心理としては、昇進が途絶えた・加齢などの理由で仕事への活力がなくなってくる一方で、何か工夫して仕事をしようにも内向きに凝り固まった価値観では新しいものが生み出せない、という状況に陥っているようにも見受けられます。
そして、会社の人と飲みに出かけ、「昔はすごかったんだ」という武勇伝を語るようになり、ますます内向き、過去志向になってしまう。
僕の先輩にも人柄がとても良い「おっさんタイプ」で、上記の負のスパイラルにはまっている方が少なくなく、人としていい人であることを知っているだけに、なんとかできないかと感じてしまうこともあります。
また、そういう方を見て、若い頃から外の世界に飛び込んで行くことへの抵抗感をなくしていかないといけないんだなとも感じています。
今は自分のことで精一杯ですが、おっさんタイプがこれからの社会でどう生き残るべきかも、考えていけたらと思います。
それでは!