客観性を保つために読書をする
どうも、ずんだラーメンです。
7月に転勤してからというもの、仕事が忙しくてなかなかブログを更新できていませんでした。
前とは全く違う業務で、また環境も変わり人数の少ない部署に配属となったため、かなり忙しく、疲れの溜まる日々を過ごしていました。
ぼくは環境に慣れるのに時間がかかるタイプなので、まずは仕事に慣れて、その次に地域に慣れようと考え、今は仕事に慣れることにほとんどのエネルギーを費やしています。
現時点で南魚沼という土地を楽しめているのはトレッキングです。南魚沼には坂戸山という標高634mの山が街の裏山的にあって、最近は休日に気分転換と体力作りのために登って写真を撮っています。
平日は仕事でクタクタになって、休日は山登りでクタクタになって、結局ブログを書けていないという状況です。笑
まだ全然納得のいく写真を撮れていないので、早くいい写真が撮れるようになりたいです。
さて、今日はそんな忙しいここ1ヶ月の中で気づいた、読書と客観性の関係について書きます。
前述の通り、最近はどうしても目の前の出来事に対処するので精一杯になっていて、自分なりの考えや中長期的な考えを基に行動することがなくなっていました。
周りの人の言うことを無抵抗に受け入れて、その枠の中で頑張ろうとしていた感じがありました。
もちろん、「郷に入れば郷に従え」という言葉がある通り、ある程度は聞き入れてやっていく必要はあるかと思います。
しかし、思考停止になった状態で聞き入れて物事を進めてしまうと、そこから自分なりに新しい価値をつけることはできません。
また、そうでなくても、いざその(他人の)判断基準、価値基準がなくなってしまったときにどうすることもできなくなってしまいます。
7月に入ってから最初の1、2週間ほどは何も考えずにやっていたのですが、ふとしたときに「最近本を読めていないなあ」と思い、ちょうどはてなブログの人気ブロガーであるヒデヨシさんが取り上げていた本を読んでみました。
本の詳細な内容、書評はヒデヨシさんが上手くまとめているので、気になる方は見てみてください。
ざっくり一言で言うと、日本のこれからの政治経済の展望と一般市民への影響について考えさせられる内容なのですが、これを読んだときに、「ああ、自分は最近誰かの価値観でしか生きてないな」と感じました。
本の内容がそうさせた部分もあるかとは思いますが、読書を通し筆者の主観の世界に入ることで、普段の生活で軸になっていた職場の主観の世界から一歩身を引くことができるのではないかと感じました。
よく「気分転換に読書をする」と言いますが、これを別な言葉で表現するとしたら上記の「異なる主観の世界を行き来すること」になるのかもしれません。
それが結果的に、物事を見たり考えたりする上で客観性を保つことに繋がるのではないかと。
思い起こせば、入社当時は毎日昼休み1時間の中で10分だけ読書をするという習慣をつけていました。
なぜそうしていたのか、当時は「気分転換」くらいにしか考えていませんでしたが、確かにあの頃は今よりも余裕がない中でも今よりも客観性を保てていたような気がします。
環境に、忙しさに、飲み込まれて客観性を失ってしまう前に、読書を挟むことでいろいろな世界にログイン/ログオフを行うことは大事なのかなと思います。
新潟にいた最後の方は居酒屋やバーでマスターと話したり、地域の人と交流することでそれを行なっていましたが、読書でも似たようなことはできるのだなという発見がありました。
なので、忙しいから、疲れているから読書ができないという前提は抑えつつも、だからこそ読書をするべきなんだなと感じました。
久しぶりに記事を書いたら、やはりかなり時間がかかって、文章の浮かび具合のキレも悪くなっていました。。。笑
まだ仕事に慣れない日々は続きますが、継続は力なりということで、ブログもコツコツ頑張っていければと思います!
それでは!